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2024年4月21日日曜日

Surrender: 40 Songs, One Story – Bono

 U2のフロントマン、Bonoの自伝/回想録。買ってまで読もうとは思わなかったが、たまたま図書館で借りられることがわかったので読んでみた。

私がU2を初めて知ったのは、確か中学生の頃にテレビで「New Year’s Day」のPVを見た時だったと思う。祖父母の家の居間にいて、NHKの夕方の番組でU2のビデオが流れたのだった。極寒の雪の原野のようなところでU24人が演奏していて、見ているこっちまで寒くなるような映像だった。映像も目を引くものだったが、音楽もまた印象深かった。キャッチ―なピアノのイントロと独特なギターサウンド、インパクトのあるボーカル。一瞬にして好きになった。当時はインターネットも音楽配信サービスもなかった時代で、LP盤も値段が高かったから、好きな音楽が聴きたかったらラジオやFM放送でその曲がかかるのをただひたすら待つしかなかった。そうしてU2の曲も「I will follow」や「Sunday Bloody Sunday」や「October」や「Pride」と有名どころを知るようになる。そういえば、当時は買えなかったけれど、アルバム「War」のジャケットに写っている凛々しい少年の顔がどうにも気になって、後になって中古レコード店で購入した。本書によると、あの少年はBonoの幼馴染の弟だったそうだ。

アメリカに来てからはラジオで一日中音楽が流れ、そのころはMTVも最盛期だった。それが仇になり、私の中でU2は終わった。1987年の夏、U2は「The Joshua Tree」で全米を席巻し、ラジオでもMTVでもU2を聴かない、見ない日はなかった。いや、聴かない時間はなかった。一時間のうちに何度もU2の曲がかかった。この田舎の街にもU2が来るといい、チケットは30分足らずで売り切れた。その夏、私にどういう心理が働いたのか、うまく説明できないが、Overexposureこちらによると「人の目に触れすぎて新鮮味を失ってしまうこと」)だったのかもしれない。実際、その後のU2の曲も「New Year’s Day」を初めて聴いたときほどのインパクトを覚えるものはひとつもなかった。

Surrender: 40 songs, one storyは、Bonoのこれまでの人生を40曲のタイトルに分けて綴った自伝である。必ずしも時系に沿っているわけではないが、ダブリンの生家で育った幼少期と学生時代、U2結成とデビュー、結婚、アルバム制作とツアー、他のミュージシャンとの出会いや出来事、アフリカ救済チャリティやロビーイング、家族のことなどをかなり詳細に書いている。歌詞を書くこともあってか、詩や詩人にも精通しており、相当な読書家であることもうかがわれる。私が面白く読んだのは、ブライアン・イーノやFloodことマーク・エリスとの初期のアルバム制作の話だった。特にFloodDepeche Modeのアルバムもプロデュースしていて、素晴らしいリミックスをいくつも作り出しているから、ブライアン・イーノほど大きくページを割かれているわけではないが、私には特別な感じがした。そういえば、写真家のアントン・コービンも本書に登場するが、彼もDepeche ModeU2のビジュアルを担当している。

高校時代にラリー(U2のドラマー)の家のキッチンで結成されたU240年以上も同じ4人で続けられてきたのはメンバーの人柄や敏腕なマネージャーのおかげであったのだろう。Bonoが語る他のミュージシャンや著名人との逸話も面白い。切ないのはINXSのマイケル・ハッチェンスとの出来事だ。Nirvanaのカート・コベインが自死したとき、マイケルは「(スターダムに苦悩していたカートが)もう少し待てたら、楽になっただろうに」というようなことを言ったという。ところが彼自身も数年後に自死してしまう。その少し前にBonoはマイケルから生まれたばかりの娘のゴッドファザーになってほしいと頼まれるのだが、ドラッグに溺れて自暴自棄になっているマイケルを許すことができずに断わってしまうのだ。そして、それが直接の原因ではないにせよ、マイケルは自死してしまう。Bonoはこのことを激しく後悔する。その上で、自分には自業自得な問題に寛容になれない性質があると認めている。アフリカで生きたくても生きられない人たちを見てきた後に、裕福な人々が自死を選ぶことに怒りを覚えると。

この本を読むと、Bonoはロックスターでありながら、気真面目過ぎるほど真面目な人なのだということがわかる。敬虔なクリスチャンであり、中学生の頃に出会いデビュー直後に結婚した奥さんと子供たちを心から大切にし、スターダムと実生活とのはざまに葛藤を覚え、アフリカ救済に奔走する熱血漢。U2の活躍や名声の大きさからは考えられないほど、実際のBono10 Ceder Roadで育ったポール・ヒューソン少年のままなのだろう。

この本に登場する40曲にはBonoの様々な思いが込められている。それを知ってそれぞれの曲を聴くと、今までと同じ気持ちで聴くことはできない。もう、知らなかったことにはできないのだ。Bonoは私より少し年上だが、「New Year’s Day」を初めて聴いた中学生の時の熱い想いを思い出すとともに、これまでの長い歳月を想い、少し寂しい気持ちになった。

Surrender: 40 Songs, One Story

 

2023年7月10日月曜日

The Bluest Eye - Toni Morrison/青い眼がほしい - トニ・モリスン

今、アメリカの学校では保護者による過激ともいえる禁書運動が盛んに行われているという。特にLGBTQや人種差別といった内容を含む本がその対象とされているという話だが、そうした禁書のリストの中にトニ・モリスンの「青い眼がほしい」があった。

トニ・モリスンはノーベル文学賞を受賞しており、アメリカ国内外でも著名な黒人女性作家である。私は恥ずかしながらこれまで一度も彼女の作品を読んだことがなかったのだが、この小説の何がいけなくて禁書になったのかを知りたいと思い、図書館の電子書籍を借りて読んでみた。

この小説の主人公ピコーラは11歳の黒人少女で、自身の恵まれない家庭環境や周囲からのいじめは自分の醜い容姿が原因だと思い込み、白人のような青い眼を手に入れればすべてがうまくいくと考えるようになる。しかし、どんなに祈っても青い眼は手に入らないばかりか、事態はますますひどくなる。

ピコーラとは逆に、この小説の語り手である同じく黒人少女のクローディアは白人の存在に非常に強気で、隣家の白人少女や同級生をいじめたい衝動を常に抱えている。クローディアの家でピコーラを一時的にあずかった時に、ピコーラが家にあった牛乳をすべて飲んでしまって、クローディアの母親が激怒する場面がある。当時絶大な人気を博していた白人子役のシャーリー・テンプルがカップに描かれていて、ピコーラはシャーリー・テンプルの姿を見たいがために、何度も何度も牛乳を飲んだのだった。しかしクローディアはみんなに好かれているシャーリー・テンプルを嫌った。大人たちがクリスマスプレゼントとして誇らしげに少女たちに与える白人の人形にも疑問を覚え、破壊してしまう。そしてその衝動が人形だけでなく、白人少女たちにも向けられていることに戦慄する。

ピコーラの父親チョーリーは生まれて間もなく母親に捨てられ、遠縁の伯母に育てられる。愛情を知らずに育ったチョーリーは妻や子供たちにどう接していいのかがわからず、酒に酔った勢いで、彼が知る唯一の愛情表現である性行為を娘のピコーラに強要してしまう。その結果、ピコーラは自分の父親の子供を身ごもることになる。

この小説には数々の社会問題が描かれている。ピコーラが唯一心を開く存在は、彼女が住む建物の上階に住んでいた3人の売春婦たちだった。また、黒人社会の中にも意識的な階級があり、比較的裕福な黒人が貧困層の黒人を差別する描写もある。白人の血を引くムラートの霊媒師は同性愛者であることを隠している。

人種差別、貧困問題、近親相姦、小児偏愛、性的描写、同性愛・・・禁書になる理由を挙げればきりがない。ただ、文学作品として秀逸であることは間違いない。臭いものに蓋をしてしまっていいのだろうかという疑問を抱えずにはいられない。子供を守りたいという気持ちは私にも理解できる。ただ、世の教育ママたちは実際にこの本を最初から最後まで読んだことがあるのだろうか。そして何も感じなかったのだろうか。これを読んで何かを感じられる子供であってほしいとは思わないのだろうか。

切ないエンディングではあるけれど、ピコーラは青い眼を手に入れる。誰よりも青い眼を。

 

青い眼がほしい (ハヤカワepi文庫) by [トニ モリスン, 大社 淑子]


 

2023年6月25日日曜日

Killers of the Flower Moon – David Grann /花殺し月の殺人 – デイヴィッド・グラン

今年のカンヌ映画祭にマーティン・スコセッシ監督の同名映画が出展されたというニュース記事を読んで、この本のことを知った。実は前々からアマゾンのおススメ本のリストの中にたびたびこの本が入ってきていたのだが、「Killers of the Flower Moon」というタイトルから犯罪小説や推理小説だと勝手に決めつけていたところがある。Killer(s) of the Flower Moonとは邦題にあるように「花殺し月」という意味で、「Killers of the flower(花殺し)」がMoon(月)にかかっているのだが、私は本を読み始めるまで「Flower Moon(花の月)」のKillers (殺人者たち)という意味だと勘違いしていた。同名映画に関するニュース記事を読んで初めて、この本が実際にあった事件を元にしたノンフィクションであったことを知った。

オクラホマ州のアメリカ先住民部族、オセージ族は5月を花殺し月の頃と呼ぶ。4月になると広大なプレーリー(草原)には一面に小花が咲き乱れる。ところが5月の満月の頃には、背丈のある花や植物がぐんぐん成長して春の小花を覆い、光と水分を奪ってしまう。小花たちは茎が折れ、花弁を散らし、瞬く間に土に帰ることになる。それで5月を花殺し月の頃と呼ぶのだという。

オセージ族も元々は先祖代々の土地で生活していたが、白人たちの西部開拓が進むと、アメリカ政府にあてがわれた土地に移住することを余儀なくされる。ところが、20世紀初頭にその移住先の地下に膨大な量の石油が眠っていることが発覚する。土地を所有するオセージ族のメンバーは誰もが大金持ちになった。ただ、当時のアメリカ先住民は個人の金融資産を自ら管理することができない決まりがあり、保護者制度のもと、地域の白人有力者たちがそれぞれに何人ものオセージ族の資産を管理していた。

そんなとき、あるオセージ一家に次々と怪死事件が起きる。殺害、爆破事件、毒殺といった手口で、一家の成人した娘・モリーただ一人を残して全員が謎の死を遂げた。一族が所有していた権利はモリーがすべて相続した。彼女の夫は白人男性で、彼の叔父/伯父は町の有力者だった。そしてモリーも持病の糖尿病が急に悪化して、危うい状況に陥る。

地元の白人捜査官たちは、先住民の事件を真剣に捜査することもなく、賄賂を受け取るなどして証拠を隠滅することもあった。そんなとき、のちにFBI(連邦捜査局)の初代長官となるフーバーがこの事件を知り、まだ駆け出しだった連邦捜査機関から捜査官を送り、新しい捜査方法で事件を解決する。この事件をきっかけにフーバーの連邦捜査機関は知名度を上げ、これを足掛かりとしてFBIの創設へと進んでいくことになる。

この事件は犯人が逮捕・投獄され、一件落着となり、時を経て、一般の人々が話題にすることもなくなった。しかし、この本の執筆にあたって著者がオセージ族の人々に取材をすると、モリーの家族以外にも相当数の怪死事件が浮かび上がってきた。当時のオセージ族の死亡率はアメリカ国内の平均死亡率をはるかに上回っており、オイルマネーを巡って白人が先住民を組織的に殺害していた可能性があるという。

背丈のある花や植物が小花に覆いかぶさり、光と水を奪い、小花たちは土に帰る。

機会があったら映画も見てみたい。

Killers of the Flower Moon: The Osage Murders and the Birth of the FBI (English Edition) by [David Grann] 

2023年2月14日火曜日

Euphoria - Lily King/ ユーフォリア - リリー・キング

 ニューギニア関連の本を探していた時にこの本が検索結果に出てきた。以前からAmazonのおすすめ本リストにこの本がよく出てくることに気付いていたが、内容を知らずにいつもスルーしていた。後に本書がアメリカの有名な人類学者であったマーガレット・ミードをモデルにしたフィクションであることを知り、納得した。

マーガレット・ミードは1920年代から1930年代にサモアやニューギニアで人類学のフィールドワークを行い、サモアでの研究をまとめた著作「サモアの思春期(Coming of Age in Samoa)」が話題となり、一躍有名になる。この小説はその後、二人目の夫とニューギニアの奥地でフィールドワークを始めた主人公Nell(ミードがモデル)と、すでにニューギニアでフィールドワークを行っていたイギリス人の人類学者Banksonが現地での研究を通して互いに惹かれ合っていく過程を描いていく。フィクションという形で登場人物の名前や地名などは変えてあるものの、実在した人物や地名がモデルとなっており、マーガレット・ミードが実際に研究した部族の女性優位性や、白人のための強制労働に連行された地元の青年のことなどが横糸になっている。夫で自らも人類学者であるFenは学者として成功している妻のNellに嫉妬感をいだいていて、成功するためには手段を選ばない。ずっと孤独にフィールドワークを続けてきたBanksonは人恋しさで自殺を試みることさえあった。そこにNell とFenがやってきて、BanksonはNellの研究に対する熱心さに感心すると共に次第に惹かれていく。結末はフィクションらしく事実とは異なったものになっている。

ニューギニアを舞台にした人類学者の小説というと、Hanya YanagiharaのPeople in the Trees(邦題:森の人々)を思い出す。これも実在した人類学者をモデルにした話で、不思議な雰囲気の小説だった。Euphoriaでも南国の妖艶な雰囲気が醸し出され、それが3人の関係を後押ししているように思う。著者が参考にしたというマーガレット・ミードの伝記も読んでみたい。


 

 

2022年11月28日月曜日

脳を鍛えるには運動しかない!最新科学でわかった脳細胞の増やし方 - ジョン J. レイティ

 「中学生の運動部入部率 37道県で過去最低に」という記事をつい最近読んだ。少子化が進んで廃部になる部活動が増えているほか、行き過ぎた指導や顧問の過重労働の問題などにも原因があるのかもしれない。私が中学生だった頃の田舎の中学校では、ほとんどの生徒が、運動部に限らず何かしらの部活に入っていた。強制ではなく、部活に入るのは当たり前のことのような風潮があったように思う。今のようにデジタル機器があったわけでもなく、テレビもNHKと民放数局しか映らない時代だったから、部活以外にはすることもなかったのだ。今思えば、塾に通っている生徒もほとんどいなかった気がする。あの田舎町に学習塾があったのかどうかさえわからない。

今回読んだ「Spark: The Revolutionary New Science of Exercise and the Brain(邦題: 脳を鍛えるには運動しかない 最新科学でわかった脳細胞の増やし方)」の冒頭には、運動で生徒たちの学力を大幅に伸ばしたアメリカの高校のことが紹介されている。運動は脳細胞のつながりを促す生体的変化を引き起こすという研究結果をもとに、始業前の運動が生徒たちの読解力とその他の学科の成績向上につながるかどうかを調べるプログラムを、シカゴ郊外のある高校が始めた。この本が出版された2008年ごろのアメリカでは、体育の授業を毎日行っている学校は全体の6%に過ぎず、生徒たちは日常生活の中で平均5.5時間を何かしらのスクリーン(テレビ、パソコン、ゲーム機器、スマートフォンなど)の前で過ごしていたという。それが一般的であったなか、この高校は体育に大きく時間を割き、結果的に国際的な学力テストの科学部門でシンガポールを抜いて1位に、数学部門では6位(上位5位まではすべてアジアの国々)という成績を収めた。アメリカ全体としての成績は科学18位、数学19位であったことを考えると、この高校の成績は抜き出でているといってよい。それが運動だけのせいなのかどうかを判断するのは難しいものの、運動が関係していることは間違いないと著者は考える。

運動することで脳によい作用が働くのは子どもや若者に限ったことではない。以前は脳細胞は年齢と共に減っていくものだという考えが常識であったが、現在は脳細胞の再生はいくつになっても可能だと考えられている。運動が脳に与える最も大きな影響は、セロトニンやドーパミンなどの神経伝達物質のバランスを整え、脳細胞の生存、発生、機能に関わるNGF, BDNFなどの神経栄養因子の生成を促すことだと著者は繰り返し述べている。セロトニンやドーパミンはうつ、ADHD、依存症、パーキンソン病などの症状に大きく関わることから、運動でこうした神経伝達物質のバランスを整えることで症状を改善することができるといい、実証例もあげている。また、こうした病気の治療薬の多くは神経伝達物質をコントロールするものだが、副作用も多いため、運動で調整することの利点をあげている。

さらに、ストレスを免疫システムに対するワクチンに例え、脳には多少のストレスが必要であると説明する。何も苦労がなく挑戦しない脳は衰えるしかないからだ。ただし、慢性的なストレスでは、HPA軸(ストレス応答などを司る脳内基軸)が脳を常に警戒状態にすることのためにエネルギーを使っていて、思考する部分にエネルギーが行かなくなる。運動はそのストレス閾値(限界値)を上げる効果を持つため、メンタル面の強化を促す。また、そのストレス閾値は通常は老化によって低下するものなのだが、運動はその閾値の低下を遅らせることで老化を防ぐ。

その他にも月経前症候群や更年期障害の気分の変化や、認知症、アルツハイマー病についても、運動の効果が詳しく書かれている。

狩猟採集時代の人間は野生動物を追いかけて野を走り回っていた。狩りをしなくても食糧が手に入る時代というのは、人類の長い歴史からみればそう遠くない昔に始まったことで、何十万年も続いてきた生体バランスはそう簡単には変わらない。体を動かすことは私たちのDNAに必然として組み込まれているのだ。冷蔵庫まで何歩かあるけば食べ物が手に入る今となっては、意識的に運動をしなければ体が必要とする活動量を維持することができず、精神疾患や体の不調など、様々な問題を引き起こすことになる。

130分程度の早歩きやランニングで脳の機能を活性化できるのなら、やらない手はないと思う。人生の早いうちから運動の習慣をつけることができればそれに越したことはないのだろうが、中学生の運動部入部率が減少傾向にあるのは、たいへん残念なことだと思う。

          [John J. Ratey]のSpark: The Revolutionary New Science of Exercise and the Brain (English Edition)[ジョンJ.レイティ, エリック・ヘイガーマン, 野中 香方子]の脳を鍛えるには運動しかない!最新科学でわかった脳細胞の増やし方


2022年11月7日月曜日

The Storyteller: Tales of Life and Music – Dave Grohl

 フーファイターズ(Foo Fighters)のドラマー、テイラー・ホーキンズが今年の春に亡くなった。突然の訃報に耳を疑ったが、その後しばらくはそのことに関して多く語られることがなかった。今年9月にフーファイターズが彼の追悼コンサートを行った時、彼の16歳の息子がMy Heroのドラムを担当して、そのパワフルなドラムで観客を魅了したことは大きなニュースとなった。フーファイターズのSNSをフォローしているわけでもないのに、私のSNSのフィードには様々なニュースソースからその動画が連日入ってきた。息子のショーン・ホーキンズにとって父テイラーはヒーローだったに違いない。そしてそれを見守るデイヴ・グロールは何を感じたのだろうか。

The Storytellerはニルヴァーナ(Nirvana)のドラマーおよびフーファイターズのフロントマンとして有名なデイヴ・グロールが、パンデミックで音楽活動ができなかった期間に書いた自叙伝である。昨年2021年後期に出版され、メディアからの注目度も高かったから、すぐにアマゾンからのお薦め本リストに入ってきた。買うつもりはなかったが、しばらくして図書館の電子書籍の蔵書を調べたら在庫がある。ただ、すでに何人もの予約が入っていたので「読みたい本」としてタグ付けをしておいた。そのまますっかり忘れていたのだが、前出の追悼コンサートの動画を見てこの本のことを思い出し、予約状況を確認すると、予約はゼロですぐに借りられる状態だった。

私が初めてデイヴ・グロールを知ったのは90年代の初めにニルヴァーナのドラマーとしてだった。80年代はMTVの隆興もあり、ミュージシャンにもキレイな人たちが多かった。ニューウエーブやニューロマンティクスは言うまでもなく、俗にヘアメタルとも呼ばれる数々のバンドもヴィジュアル重視だったように思う。ところが90年代初めになるとグランジが台頭してくる。その筆頭だったのがカート・コベイン(敢えてこう書く)、クリス・ノヴォセリック、デイヴ・グロールから成るニルヴァーナだった。それまでの煌びやかな音楽シーンから一変して、なんだかむさ苦しい人たちが出てきたなぁという感じだった。しかし、彼らは当時の若者の心をとらえて一躍スターダムにのし上がる。

そこからが私の知っているデイヴ・グロールなのだが、この本はそれ以前の出来事を含む彼のこれまでの人生を、音楽、出会い、家族を柱にして、数々のエピソードを交えたストーリーに仕上げている。

ワシントンDC郊外のヴァージニア州の中流家族が多く住む住宅地でごくありふれた少年として過ごしていたデイヴ少年は、ある夏、母親の大親友が住むシカゴを訪れ、パンク少女と化した従妹に場末のライブハウスに連れて行かれ、そこでパンクとの衝撃的な出会いを経験する。それが彼の音楽の原点となり、パンクのレコードを聴き漁り、本物のドラムが手に入らないから枕を叩いて憧れのドラマーを模倣し、DCのパンクシーンに顔を出すようになる。17歳の時に憧れのパンクバンドがドラマーを募集していると知り、オーディションを受ける。それがScreamでの活動の始まりとなった。両親を説得して高校を退学し、Screamのバンドメンバーとして年上のメンバーたちと一緒にツアーで世界中をまわり、故郷に帰って次のツアーの資金を貯めてまたツアーに出るということを繰り返していた。ある時、全米ツアーの最中に資金が続かず、DCに戻ることもできなくなり、しばらくLAに滞在せざるを得なくなった。その時にまだ一般的には無名だったニルヴァーナがドラマーを探しているという話を聞き、クリス・ノヴォセリックに連絡すると、すでに新しいドラマーが決まった後だった。ところが、カート・コベインがデイヴに興味を示し、ニルヴァーナのドラマーとして参加することになる。

ワシントン州の小さい1LDKのアパートにカートと同居し、納屋でリハーサルを繰り返し、アルバム「Nevermind」を発売すると、シングル曲「Smells Like Teen Spirit」がたちまちヒットする。彼らは時の人となり、一躍スターダムにのし上がるのだが、それに違和感を覚え、受け入れられなかったのがカート・コベインだった。かれは薬物に手を出し、27歳で夭折する。デイヴはこの知らせを受けたとき、悲しみで泣き崩れた。ところがこれは誤報で、カートはまだ生きていた。その後、彼は本当にこの世を去ってしまうのだが、その時にデイヴは同じ感情を呼び起こすことができなかったという。

カートの没後、何にも手をつけられなくなったデイヴはアイルランドの静かな場所でひっそりと過ごしていた。ある時、見るからにロッカーな青年が歩いているのを見かけた彼は、車に乗せて送ってあげようと思ったのだが、その青年が着ていたTシャツにカート・コベインの名前だったか顔だったか(うろ覚え)が描かれていたことで、耐えられずにそのまま通りすぎてしまう。それが、アメリカに戻り、のちにフーファイターズのアルバムに収録されることになる楽曲を作り始めるきっかけになったという。そうしてフーファイターズが結成されるのである。

ロックスターになったデイヴ・グロールはさぞや華々しい生活を送っていることだろうと思いきや、故郷の近くの田舎町に大きな家を買い、自分のスタジオを作ってアルバムを制作する。故郷への愛着を持ち続けているのだ。自分が有名になっても、憧れの先達ミュージシャンに会う機会に恵まれると、パンク少年だった時の気持ちが蘇るという。そして音楽がもたらしてくれた数々の出会いに感謝の気持ちを忘れない。

例えば、いつかのサマソニでリック・アストリーと共演したことの裏話では、イギリスBBC放送からイギリスのミュージシャンの曲をカバーして欲しいと依頼された時、たまたまリック・アストリーがサマソニに出演していたのを見て、「Never Gonna Give You Up」をリハーサルで弾いてみたら、コード進行がニルヴァーナの「Smells Like Teen Spirit」にそっくりだった。その後、サマソニのステージで演奏しているとステージ脇でリック・アストリーがフーファイターズのステージを見ていることにデイヴが気づいた。メンバーの誰かのソロのときにデイヴがステージ脇のリック・アストリーに近づいて、飛び入りの共演を頼んだというのだ。確かに今その動画を見ると、デイヴは「Smells Like Teen Spirit」を弾いている。そして、リック・アストリーの音楽は自分が聴いてきた音楽と違うジャンルのものだが、音楽にはこうしてかけ離れたもの同士の出会いを作る力もあると言っている。デイヴが共演してきたミュージシャンにはイギー・ポップやジョン・ポール・ジョーンズなど、ロック界のレジェンドも多く、彼はそれを幸運と呼ぶが、この本を読んでいると、幸運は向こうからやってくるものではなく、自分から引き寄せる物なのではないかという気がする。

アカデミー賞には毎年その年に亡くなった映画関係者をしのぶ演出があり、ある年にその演出の中でビートルズの「Blackbird」を歌ってほしいと頼まれた。世界中の人々が見ている中で自分にそんな大役が務まるのかと悩んだ末に、彼がこれまでにもモットーとしてきた「Fake it till you make it(できなくても、できるふりをする)」の精神で承諾した。そのしばらく前に娘の学校の行事で、娘が歌う「Blackbird」の伴奏をしたことがあった。アカデミー賞の舞台で緊張する中、デイヴは学校の発表会で娘がいかに勇敢だったかを思い出していた。

最終章はシカゴ・カブスの本拠地ウィグリー・フィールドでのコンサートを終えたデイヴがエモーショナルになるところから始まる。そのコンサートは彼にとって、円を完成させたものだったからだ。従妹に連れられて行った小さなライブハウスが球場の通りの向こうにあったのだ。彼の音楽はそのライブハウスから始まり、いつか自分もと夢を見て、今、通りの反対側の何万人も収容するスタジアムでのステージを終えたところだった。これまでもスタジアム級の会場で演奏したことはあったが、この球場は彼にとってかけがえのない場所だった。

自分が年齢を重ねたことはわかっているが、気持ちはパンク少年のままだといい、人生のシンプルな出来事を楽しんでいきたいと語っている。カート・コベインや、少年時代に一緒にパンクのレコードを興奮しながら聴いた幼馴染の死を乗り越え、そして、この本の出版後ではあるが、今また、「違う母親から生まれた兄弟」「親友」と呼ぶテイラー・ホーキンズを失い、悲しみや辛さも多く経験してきたはずなのに、この本にはどんなときにも前向きで、多くの出会いに感謝し、家族を心から大切にする最高にかっこいいデイヴ・グロールが描かれている。