2022年11月28日月曜日

脳を鍛えるには運動しかない!最新科学でわかった脳細胞の増やし方 - ジョン J. レイティ

 「中学生の運動部入部率 37道県で過去最低に」という記事をつい最近読んだ。少子化が進んで廃部になる部活動が増えているほか、行き過ぎた指導や顧問の過重労働の問題などにも原因があるのかもしれない。私が中学生だった頃の田舎の中学校では、ほとんどの生徒が、運動部に限らず何かしらの部活に入っていた。強制ではなく、部活に入るのは当たり前のことのような風潮があったように思う。今のようにデジタル機器があったわけでもなく、テレビもNHKと民放数局しか映らない時代だったから、部活以外にはすることもなかったのだ。今思えば、塾に通っている生徒もほとんどいなかった気がする。あの田舎町に学習塾があったのかどうかさえわからない。

今回読んだ「Spark: The Revolutionary New Science of Exercise and the Brain(邦題: 脳を鍛えるには運動しかない 最新科学でわかった脳細胞の増やし方)」の冒頭には、運動で生徒たちの学力を大幅に伸ばしたアメリカの高校のことが紹介されている。運動は脳細胞のつながりを促す生体的変化を引き起こすという研究結果をもとに、始業前の運動が生徒たちの読解力とその他の学科の成績向上につながるかどうかを調べるプログラムを、シカゴ郊外のある高校が始めた。この本が出版された2008年ごろのアメリカでは、体育の授業を毎日行っている学校は全体の6%に過ぎず、生徒たちは日常生活の中で平均5.5時間を何かしらのスクリーン(テレビ、パソコン、ゲーム機器、スマートフォンなど)の前で過ごしていたという。それが一般的であったなか、この高校は体育に大きく時間を割き、結果的に国際的な学力テストの科学部門でシンガポールを抜いて1位に、数学部門では6位(上位5位まではすべてアジアの国々)という成績を収めた。アメリカ全体としての成績は科学18位、数学19位であったことを考えると、この高校の成績は抜き出でているといってよい。それが運動だけのせいなのかどうかを判断するのは難しいものの、運動が関係していることは間違いないと著者は考える。

運動することで脳によい作用が働くのは子どもや若者に限ったことではない。以前は脳細胞は年齢と共に減っていくものだという考えが常識であったが、現在は脳細胞の再生はいくつになっても可能だと考えられている。運動が脳に与える最も大きな影響は、セロトニンやドーパミンなどの神経伝達物質のバランスを整え、脳細胞の生存、発生、機能に関わるNGF, BDNFなどの神経栄養因子の生成を促すことだと著者は繰り返し述べている。セロトニンやドーパミンはうつ、ADHD、依存症、パーキンソン病などの症状に大きく関わることから、運動でこうした神経伝達物質のバランスを整えることで症状を改善することができるといい、実証例もあげている。また、こうした病気の治療薬の多くは神経伝達物質をコントロールするものだが、副作用も多いため、運動で調整することの利点をあげている。

さらに、ストレスを免疫システムに対するワクチンに例え、脳には多少のストレスが必要であると説明する。何も苦労がなく挑戦しない脳は衰えるしかないからだ。ただし、慢性的なストレスでは、HPA軸(ストレス応答などを司る脳内基軸)が脳を常に警戒状態にすることのためにエネルギーを使っていて、思考する部分にエネルギーが行かなくなる。運動はそのストレス閾値(限界値)を上げる効果を持つため、メンタル面の強化を促す。また、そのストレス閾値は通常は老化によって低下するものなのだが、運動はその閾値の低下を遅らせることで老化を防ぐ。

その他にも月経前症候群や更年期障害の気分の変化や、認知症、アルツハイマー病についても、運動の効果が詳しく書かれている。

狩猟採集時代の人間は野生動物を追いかけて野を走り回っていた。狩りをしなくても食糧が手に入る時代というのは、人類の長い歴史からみればそう遠くない昔に始まったことで、何十万年も続いてきた生体バランスはそう簡単には変わらない。体を動かすことは私たちのDNAに必然として組み込まれているのだ。冷蔵庫まで何歩かあるけば食べ物が手に入る今となっては、意識的に運動をしなければ体が必要とする活動量を維持することができず、精神疾患や体の不調など、様々な問題を引き起こすことになる。

130分程度の早歩きやランニングで脳の機能を活性化できるのなら、やらない手はないと思う。人生の早いうちから運動の習慣をつけることができればそれに越したことはないのだろうが、中学生の運動部入部率が減少傾向にあるのは、たいへん残念なことだと思う。

          [John J. Ratey]のSpark: The Revolutionary New Science of Exercise and the Brain (English Edition)[ジョンJ.レイティ, エリック・ヘイガーマン, 野中 香方子]の脳を鍛えるには運動しかない!最新科学でわかった脳細胞の増やし方


2022年11月7日月曜日

The Storyteller: Tales of Life and Music – Dave Grohl

 フーファイターズ(Foo Fighters)のドラマー、テイラー・ホーキンズが今年の春に亡くなった。突然の訃報に耳を疑ったが、その後しばらくはそのことに関して多く語られることがなかった。今年9月にフーファイターズが彼の追悼コンサートを行った時、彼の16歳の息子がMy Heroのドラムを担当して、そのパワフルなドラムで観客を魅了したことは大きなニュースとなった。フーファイターズのSNSをフォローしているわけでもないのに、私のSNSのフィードには様々なニュースソースからその動画が連日入ってきた。息子のショーン・ホーキンズにとって父テイラーはヒーローだったに違いない。そしてそれを見守るデイヴ・グロールは何を感じたのだろうか。

The Storytellerはニルヴァーナ(Nirvana)のドラマーおよびフーファイターズのフロントマンとして有名なデイヴ・グロールが、パンデミックで音楽活動ができなかった期間に書いた自叙伝である。昨年2021年後期に出版され、メディアからの注目度も高かったから、すぐにアマゾンからのお薦め本リストに入ってきた。買うつもりはなかったが、しばらくして図書館の電子書籍の蔵書を調べたら在庫がある。ただ、すでに何人もの予約が入っていたので「読みたい本」としてタグ付けをしておいた。そのまますっかり忘れていたのだが、前出の追悼コンサートの動画を見てこの本のことを思い出し、予約状況を確認すると、予約はゼロですぐに借りられる状態だった。

私が初めてデイヴ・グロールを知ったのは90年代の初めにニルヴァーナのドラマーとしてだった。80年代はMTVの隆興もあり、ミュージシャンにもキレイな人たちが多かった。ニューウエーブやニューロマンティクスは言うまでもなく、俗にヘアメタルとも呼ばれる数々のバンドもヴィジュアル重視だったように思う。ところが90年代初めになるとグランジが台頭してくる。その筆頭だったのがカート・コベイン(敢えてこう書く)、クリス・ノヴォセリック、デイヴ・グロールから成るニルヴァーナだった。それまでの煌びやかな音楽シーンから一変して、なんだかむさ苦しい人たちが出てきたなぁという感じだった。しかし、彼らは当時の若者の心をとらえて一躍スターダムにのし上がる。

そこからが私の知っているデイヴ・グロールなのだが、この本はそれ以前の出来事を含む彼のこれまでの人生を、音楽、出会い、家族を柱にして、数々のエピソードを交えたストーリーに仕上げている。

ワシントンDC郊外のヴァージニア州の中流家族が多く住む住宅地でごくありふれた少年として過ごしていたデイヴ少年は、ある夏、母親の大親友が住むシカゴを訪れ、パンク少女と化した従妹に場末のライブハウスに連れて行かれ、そこでパンクとの衝撃的な出会いを経験する。それが彼の音楽の原点となり、パンクのレコードを聴き漁り、本物のドラムが手に入らないから枕を叩いて憧れのドラマーを模倣し、DCのパンクシーンに顔を出すようになる。17歳の時に憧れのパンクバンドがドラマーを募集していると知り、オーディションを受ける。それがScreamでの活動の始まりとなった。両親を説得して高校を退学し、Screamのバンドメンバーとして年上のメンバーたちと一緒にツアーで世界中をまわり、故郷に帰って次のツアーの資金を貯めてまたツアーに出るということを繰り返していた。ある時、全米ツアーの最中に資金が続かず、DCに戻ることもできなくなり、しばらくLAに滞在せざるを得なくなった。その時にまだ一般的には無名だったニルヴァーナがドラマーを探しているという話を聞き、クリス・ノヴォセリックに連絡すると、すでに新しいドラマーが決まった後だった。ところが、カート・コベインがデイヴに興味を示し、ニルヴァーナのドラマーとして参加することになる。

ワシントン州の小さい1LDKのアパートにカートと同居し、納屋でリハーサルを繰り返し、アルバム「Nevermind」を発売すると、シングル曲「Smells Like Teen Spirit」がたちまちヒットする。彼らは時の人となり、一躍スターダムにのし上がるのだが、それに違和感を覚え、受け入れられなかったのがカート・コベインだった。かれは薬物に手を出し、27歳で夭折する。デイヴはこの知らせを受けたとき、悲しみで泣き崩れた。ところがこれは誤報で、カートはまだ生きていた。その後、彼は本当にこの世を去ってしまうのだが、その時にデイヴは同じ感情を呼び起こすことができなかったという。

カートの没後、何にも手をつけられなくなったデイヴはアイルランドの静かな場所でひっそりと過ごしていた。ある時、見るからにロッカーな青年が歩いているのを見かけた彼は、車に乗せて送ってあげようと思ったのだが、その青年が着ていたTシャツにカート・コベインの名前だったか顔だったか(うろ覚え)が描かれていたことで、耐えられずにそのまま通りすぎてしまう。それが、アメリカに戻り、のちにフーファイターズのアルバムに収録されることになる楽曲を作り始めるきっかけになったという。そうしてフーファイターズが結成されるのである。

ロックスターになったデイヴ・グロールはさぞや華々しい生活を送っていることだろうと思いきや、故郷の近くの田舎町に大きな家を買い、自分のスタジオを作ってアルバムを制作する。故郷への愛着を持ち続けているのだ。自分が有名になっても、憧れの先達ミュージシャンに会う機会に恵まれると、パンク少年だった時の気持ちが蘇るという。そして音楽がもたらしてくれた数々の出会いに感謝の気持ちを忘れない。

例えば、いつかのサマソニでリック・アストリーと共演したことの裏話では、イギリスBBC放送からイギリスのミュージシャンの曲をカバーして欲しいと依頼された時、たまたまリック・アストリーがサマソニに出演していたのを見て、「Never Gonna Give You Up」をリハーサルで弾いてみたら、コード進行がニルヴァーナの「Smells Like Teen Spirit」にそっくりだった。その後、サマソニのステージで演奏しているとステージ脇でリック・アストリーがフーファイターズのステージを見ていることにデイヴが気づいた。メンバーの誰かのソロのときにデイヴがステージ脇のリック・アストリーに近づいて、飛び入りの共演を頼んだというのだ。確かに今その動画を見ると、デイヴは「Smells Like Teen Spirit」を弾いている。そして、リック・アストリーの音楽は自分が聴いてきた音楽と違うジャンルのものだが、音楽にはこうしてかけ離れたもの同士の出会いを作る力もあると言っている。デイヴが共演してきたミュージシャンにはイギー・ポップやジョン・ポール・ジョーンズなど、ロック界のレジェンドも多く、彼はそれを幸運と呼ぶが、この本を読んでいると、幸運は向こうからやってくるものではなく、自分から引き寄せる物なのではないかという気がする。

アカデミー賞には毎年その年に亡くなった映画関係者をしのぶ演出があり、ある年にその演出の中でビートルズの「Blackbird」を歌ってほしいと頼まれた。世界中の人々が見ている中で自分にそんな大役が務まるのかと悩んだ末に、彼がこれまでにもモットーとしてきた「Fake it till you make it(できなくても、できるふりをする)」の精神で承諾した。そのしばらく前に娘の学校の行事で、娘が歌う「Blackbird」の伴奏をしたことがあった。アカデミー賞の舞台で緊張する中、デイヴは学校の発表会で娘がいかに勇敢だったかを思い出していた。

最終章はシカゴ・カブスの本拠地ウィグリー・フィールドでのコンサートを終えたデイヴがエモーショナルになるところから始まる。そのコンサートは彼にとって、円を完成させたものだったからだ。従妹に連れられて行った小さなライブハウスが球場の通りの向こうにあったのだ。彼の音楽はそのライブハウスから始まり、いつか自分もと夢を見て、今、通りの反対側の何万人も収容するスタジアムでのステージを終えたところだった。これまでもスタジアム級の会場で演奏したことはあったが、この球場は彼にとってかけがえのない場所だった。

自分が年齢を重ねたことはわかっているが、気持ちはパンク少年のままだといい、人生のシンプルな出来事を楽しんでいきたいと語っている。カート・コベインや、少年時代に一緒にパンクのレコードを興奮しながら聴いた幼馴染の死を乗り越え、そして、この本の出版後ではあるが、今また、「違う母親から生まれた兄弟」「親友」と呼ぶテイラー・ホーキンズを失い、悲しみや辛さも多く経験してきたはずなのに、この本にはどんなときにも前向きで、多くの出会いに感謝し、家族を心から大切にする最高にかっこいいデイヴ・グロールが描かれている。